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再婚について
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再婚のむずかしさ
再婚について
再婚のむずかしさ
再婚をしようとする人たちにとって、なんといってもいちばんむずかしいことは、子どもをめぐる問題でしょう。先の結婚で、お互いに、あるいは一方がもっている子どもをどうするかが、多かれ少なかれ深刻な問題となります。再婚の夫に捨てられまいとして、実の娘を殺し、箱詰めにして流した母、子どもを入籍できない苦しみから、親子心中を図った母。みんな特別ひどい母親のように思われますが、似たような悲劇の母子は、どこにでもいると思います。\"子どものために、おかあさんをもらおう\"と思う夫、\"この子のために結婚はすまい\"と考える未亡人が、どんなに多いことでしょうか。再婚も結婚である以上、二人の人間が幸福を求め合うところから出発しなければなりませんのに、結婚本来の目的は、うしろのほうへ追いやられてしまうことが多いのは、全く悲しいことです。家庭裁判所の調停委員島津久子さんは、たくさんの不幸な事件を扱ったうえで、女が子どもにつながる気持の深さ、強さは計り知れないほどのものです。子にひかれて再婚しまいと思う母もあるし、子どもを育てるために、気にそまぬ結婚を承諾する母もあります。しかし子どもはいずれ大人になって、独立していくもの。絶対に子どものそのために生き抜くなどと母ががんばってみたところで、大きくなった子どもの気持の中から、おかあさんがいつかはみ出すときがくるかも知れません。子どもにとっておかあさんが負担だというようなときが。こんなことを考えると、おかあさんは、女としてのほんとうの人生を見出して、今から生きていくべきだと思います。なにも結婚だけが人生ではありません。仕事をもつことも、一つの生き方です。しかし、男女の本質からの愛情に結ばれた結婚の中に人生を見出すことも自然ですーと、再婚を真剣な問題として考えることをすすめています。とはいえ、夫の子どもと自分の子どもたちがうまくやっていけるだろうか、夫は子どもをかわいがってくれるだろうか、と母の心配は絶えません。単純そうで単純でないのが再婚です。
周囲の目も
再婚のむずかしさは、そればかりではありません。これは、特に女性に対して強くいわれることですが、未だに\"貞女二夫にまみえず\"の考え方が世間に残っていることも、再婚をむずかしくしているといえましよう。結婚を性の満足とだけ見る卑俗な目で、新しい結婚生活へ出発していこうとする女性をさげすむ悪習があるということです。また島津さんのことばを借りればーほんとうに自分の求めてする結婚なら美しいことだ。世間の目を恐れずにどんどん結婚してほしいーということになるのですが。
三人の考え方
三人の未亡人に、再婚についての考え方を聞いてみました。二十代の始めに夫を失った大坪京さんは、今も息子と二人暮らし。しかし、いつも息子に話すことは、お母さんは、あなたのために再婚しなかったのではないのよ。再婚するという決心がついたときに結婚しようと、いつも考えていたのですから。結婚してもよいと思う人が現われたら、明日にでも結婚しますよ\"ということ。大坪さんは、\"子どもがいくつになったら結婚しよう、などと考えるのは不自然だ。結婚の相手はいつ現われるかも知れないのだし、またそんなふうに考えて子どもを育てることは、子どもをワクにはめ込む結果になるかも知れない\"と考えています。そして、\"再婚しようときめて暮らすことは、結婚が実現する日まで、精神生活を豊かにするし、親子の生活を充実させようという努力も生まれるから、かえってよいのではないか\"と再婚賛成論です。中里ひろさんは、再婚をしない主義です。\"若いときからの相手は信じられるが、年とってからの相手はどうも信じられない。老後のさびしさを忠告してくれる人もあるが、人の中で働くことで、さびしさをまぎらしていくつもりだ。子どもにたよる気は全然ない。始めから子どものいない人の生活だと思えば、なんでもないのですから\"という考え方。松井治子さんは、この春、息子の結婚と前後して再婚した、五十二才の主婦です。夫の給料はかなり低く、生活は割合に苦しいほうですが、治子さんはいつも言います。\"息子と嫁の飯より夫の飯よ\"と。
あせるな
人それぞれの考え方はありましょう。しかし再婚するならば、自分の求める再婚をするということ。そして、あせってはよい結果になりません。またここで、島津さんにご登場いただくと、ー再婚の場合、見合結婚の多くには、愛情とは違った、何か不純なものが付随しがちです。\'子どもの養育のために金持ちと結婚しようとか、子どもの母親を求めようとか。そういう結婚には、だいたい不幸がついてきます。子どものためにと思ったことが、かえって子どもを不幸にすることさえあります。再婚、特に年をとってからの結婚なら、恋愛結婚でありたいものだと、私は思っているのです
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